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樽<taru>

Author:樽<taru>


住処:仙台市岡の上
産地:山形県置賜地方最北山裾
タイトル:HONDAインテグラのCF
キャッチコピーからパクリ借用。

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「表現しない」という表現の自由(ムハンマドの風刺画問題)
 ことの発端は昨年9月にデンマークの有力新聞がムハンマドの風刺漫画を掲載したことに始まります。ただしこのときは、それほど大きな問題にはなりませんでした。
 それが今年1月にノルウェイの雑誌が再び取り上げた時に、やや大きな反発が見られます。ここで初めに掲載したデンマーク紙は謝罪を行いました。しかし、2月にはフランスの雑誌がさらに転載し、これによってイスラム社会が大きな問題としてとらえ始めます。
 イスラムの教えでは、神やムハンマドを絵に描いてはいけないことになっています。これは、描かれることで彼らに特定のイメージを与えるから、と説明されます。まずこの点がイスラム教徒の非難を受けます。
 次に描かれた風刺漫画がイスラムを冒とくする、悪意のあるメッセージであったことが問題になっています。導火線のついたターバンを巻いたムハンマドの風刺画は、イスラム教徒=テロリストと決めてかかる意識がうかがえます。
 デンマーク紙に風刺画を描いた作者は「こんな状況になることが分かっていれば掲載しなかった」と言っています。彼についてはその行動が軽率であったと言わざるをえませんが、これが今回の問題がここまで大きくなった本質ではないでしょう。
 最大の問題は、フランス誌が表現の自由を理由に再掲載を行ったことおよび、その行動の背景にある西欧社会の独善的なものの考えかたにあると思います。
 再掲載したフランス誌の編集長は、表現の自由の不可侵を強調し今回の掲載の正当性を訴えます。たしかに表現の自由は西欧諸国にとっては絶対的な価値とされます。それは西欧で生まれ、守られてきた価値観です。
 ですが、イスラム社会にとっては事情が異なります。イスラム社会はその多くが中東や北アフリカなど非西欧地域に属します。厳しい戒律を課し、さまざまな自由からの隔離が求められます。
 あるフランスの論者はイスラム教徒に「過ちを含め、すべてを受け入れるべきだ」と発言しています(『朝日新聞』06年2月15日付朝刊)。これは西欧の論理(表現の自由)をイスラム社会へ押し付けているものと受取れます。相手のことを考えずに、自分たちの価値観を相手に押し付けらることは、決して気持ちのよいものではありません。常に彼らが正しいとは限らないのですから。
 仮にいくぶん譲って、仮にイスラム社会も表現の自由を認めるべきだ、としましょう。ですがこの場合でも西欧側への非難は免れません。
 なぜなら、この場合はイスラム社会は「表現しない」という表現の自由を持っていると考えなくてはならないからです。
 とすると、西欧側はイスラム社会の「表現しない」という表現の自由を侵略していることになります。これは自分の自由は存分に享受し、他人の自由は無遠慮に侵害しているということです。
 西欧諸国には、多数のイスラム教徒を受け入れているのに、イスラム教徒は西欧の考えを受け入れない不満があるといいます。
 イスラム教徒には、アメリカの同時多発テロ以降のイスラム=テロリストと決め付ける偏見への怒りがあるといいます。
 両者それぞれに言い分はあるかと思います。それぞれ漫画が掲載され、抗議行動が激化した背景と言われます。ですが、あくまでもこれは背景です。本質的には倫理・道徳の問題に行き着くと考えます。
 はたして「表現の自由」を盾にすれば何を表現してもいいのか?他者の不利益を省みずに、自らの利益のみを追求してもいいのか?
 件のフランス誌の「ムハンマド特集号」は通常の数倍の売上を記録したそうです。本当にこの雑誌は「表現の自由」を守りたかったのでしょうか?
 自由という言葉が、勝手な一人歩きをしているような気がしてなりません。
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今日の一ネタ(原稿) | 【2006-02-16(Thu) 15:20:13】 | Trackback:(0) | Comments:(2)
コメント
初めまして。

 父が置賜出身なもので、ちょっと縁を感じました。

> これは西欧の論理(表現の自由)をイスラム社会へ押し付けているものと受取れます。

とありますが、これはヨーロッパ社会で起きた出来事をヨーロッパ社会のルールで判断することについては、と解することはできないでしょうか?

 museさんのブログから来たらちょっと気になりましたので、私の考えを書かせていただきました。
2006-02-21 火 14:48:45 | URL | かば #9yMhI49k [ 編集]

はじめまして。
早速ですが、かばさんが引用されたのは、
 
>あるフランスの論者はイスラム教徒に「過ちを含め、すべてを受け入れるべきだ」と発言しています(『朝日新聞』06年2月15日付朝刊)。これは西欧の論理(表現の自由)をイスラム社会へ押し付けているものと受取れます。

という文脈の一部です。
このフランスの論者(ロベール・ベルナール氏)の言葉を少し長めに引用します。
「仏の漫画週刊紙「シャルリー・エブドー」のムハンマド特集号はささいな話だ。それが彼らの役割で、あれをやらなければ存在意義はない。
 確かに問題の漫画の質はお粗末。イスラム教とテロを単純に結び付け、何の情報も伝えていない馬鹿げた絵も多い。そんな過ちを含め、すべてを受け入れるべきだ」
 
 かばさんの解釈では、
 (ヨーロッパ社会で起きた出来事をヨーロッパ社会のルールで判断することについては、)過ちを含め、すべてを受け入れるべきだ
 
 となるかと思いますが、上記引用にヨーロッパ社会内部/外部といった区分の意識は見られず、そのような解釈は難しいように思われます。
 本文で引用はしませんでしたが、彼のコメントの冒頭は「表現の自由には、だれもが同意する禁じてが二つある。暴力の呼びかけと個人攻撃だ。これ以外はなんでもありだが、…」との言葉で始まります。ここでも地域による区分は見られません。これらは表現の自由がイスラム社会を含む全世界に普遍的な価値を有する、との前提があるからとだと考えます。
2006-02-22 水 19:15:56 | URL | 樽 #BsRNSj8. [ 編集]
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