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Author:樽<taru>


住処:仙台市岡の上
産地:山形県置賜地方最北山裾
タイトル:HONDAインテグラのCF
キャッチコピーからパクリ借用。

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太田の矜持
太田のプレーが好きだった。
大きく手を振って一生懸命に走る姿が好きだった。
チャンスだと見ると果敢に攻めていくその気持ちが好きだった。
失敗しても失敗しても何度もチャレンジする姿勢が好きだった。

2003年5月。リーグ戦序盤のホームゲームで彼のミスから不用意な失点をしてしまい、結果負けてしまったことがある。試合後の会見では監督は彼の不用意なプレーを暗に責めたし、彼自身も自らのミスを認めるコメントを出している。
それにもかかわらず、その日太田はいつもと変わらずに出待ちのサポーターへのサインや写真撮影・握手に応じていた。やがてサポータもはけ、太田がバスに戻ろうとしたときに、フェンスからやや離れたところから「太田さん、いい上がりだったよ!」と声がかかった。
太田は一瞬声の方向を凝視したあと、深々とおじぎをして、そしてバスへ駆けていった。

その後まもなく『Rush』誌上(№12、2003年6月発行)での太田へのインタビューで「サポーターに言われて嬉しくなる言葉は?」との問いに、「『いい上がりだったね~』。そうしたら『ありがとうございます(ペコリ)!』って(笑)」とあった。インタビューの日付は件の試合の翌日。あの時の言葉に違いない。

この記事を読んで、あの日のことを思い出して、「ああ、太田は積極的に攻撃に絡むことに自分の価値を見出していたんだな」とひとりで合点がいったことを思い出す。この試合後半の太田の姿はただただ美しかった。ミス後、彼はいつもにも増して積極的にサイドラインを駆け上がっていた。ミスを取りかえすために彼が選択したのは積極的にあがること。ミスによって彼の自信やプライドは傷ついたかもしれない。しかしプロである以上、その傷は何かで補わなくてはならない。それが太田にとっては自分の信じるプレースタイル、すなわち積極的にあがることであったのだろう。だからこそ、そのスタイルを十分に発揮できた試合の後にサポーターからそのスタイルを評価されたことが嬉しかったのだろう。

右SBの位置は昨年には臼井幸平が、今期途中からは木村誠が定位置を確保し、太田の出番はほとんどなかった。練習試合やサテライトではほとんどセンターバックでプレーしていた。センターバックはサイドバックほど攻撃には絡めない。それでも折をみて積極的にあがる太田の姿がみられたという。トップの試合に出られない、本来のポジションではないもどかしさはあったに違いない。それでも太田は太田らしいプレーを忘れなかった。それは彼のプロとして生きてきた自信と誇りに裏打ちされている。そのことがうれしかった。
太田のそんな一徹なところが好きだった。

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モンテディオ山形 | 【2006-12-24(Sun) 00:17:51】 | Trackback:(1) | Comments:(1)
高橋健二、最後の戦い
2006J2第52節 vs水戸@ベスパ12.02

試合前から健二コール、太田コールがやまない。
バックスタンド最上段に陣取った健二の母校・日大山形高校のサッカー部も健二コール。彼らはもう20年近くも前のOBの応援ためににやってきた。おそらく部内では伝説上の人物として語られているのだろう。
水戸サポまで健二コール&ソング。他サポにサポソンを知られる選手はいても、実際に歌われる選手はそうはいない。これはひとえにこれまでに彼の積み上げたJ2通算287試合出場という実績によるのだろう。

前半14分に佐々木が得点を決めた後、60mほど一直線に駆け、抱きついた先はベンチの健二だった。この日の佐々木は何度もサイドを突破し、センタリングを上げ、シュートを放った。彼の放ったシュートは3本。内1本はゴールネットを突き刺し、2本は相手選手にあたり、そのこぼれ玉がゴールに結びついている。先取点は右サイドの突破からのセンタリングをレアンドロが決めたもの。この日の佐々木は一味ちがった。後半28分の交代時には足をつり気味だったという。それだけ走った。健二のために。

後半、4点目が入る前後からサポータからの健二コールが再び始まる。
試合展開には無関係に。でもコールはもう止まらない。
みんなが健二を待っていた。

後半28分には健二が佐々木に代わってピッチに入る。
いつもと同じようにピッチに入った健二はいつも以上によくボールに絡んでいた。
むしろ健二にボールが集まっていた、というべきかもしれない。
チームメイトはみな最後に健二とパス交換したかったのだ。
健二の好きな細かいパスを次々と繋ぐスタイルで相手のゴール前で何度も何度も見せ場を作った。

そんな流れの中、秋葉が豪快にミドルシュートを決める。今期の秋葉は目に見えて成長を遂げている。そんな郷土の後輩の頼もしい成長が健二の引退を後押ししたのかもしれない。だとしたら、このゴールで健二はいくらか安心してチームを去ることができるだろう。秋葉のゴールは、新しい時代の幕開けを象徴する。ただ時代は変わっても、健二の魂は秋葉に引き継がれることを期待したい。

選手の移籍が日常茶飯事におきるサッカー界、まして戦力の入れ替えの激しいJ2リーグにおいて同一チームでの通算288試合出場は大変な記録といわざるを得ない。
「J2だからそれほど誇れる記録ではない」、健二はそういうかもしれない。彼にとってのJ2通算288試合出場は、その間ずっとJ2に甘んじていたことを意味する。

しかしそれは、7年の長きにわたって、ずっとチームの主力であり続けたことの証でもある。誰が監督になろうとも、若くてイキのいい新加入選手が入ろうとも、雨でも雪でも、ホームでもアウェイでも、30歳を大きく超えようともずっと健二は試合に出場しつづけた。288試合は、これまでの山形の全リーグ戦344試合の8割を越える。

健二の真の偉大さはここにあるのだと思う。

監督からの信頼も、チームメイトからの信頼も、サポーターからの信頼もすべて、試合に出場して結果を残したからこその賜物である。試合で彼は献身的に動きまわり、クロスをあげ、守備に回り、ゴールを放った。華々しいゴールシーンや華麗なテクニックはそうそうは見られなかったが、怪我で長期離脱することはほとんどなく、出れば堅実に確実に仕事をこなし、周囲を活性化させた。それを繰り返すことで監督は評価し、チームメイトは安心してボールを預け、サポーターは一際大きな声援をおくるようになった。

健二の出場した288試合は、モンテディオ山形というプロサッカークラブが勝利するために高橋健二という選手が必要とされた試合数に等しい。その意味は小さくはない。

モンテディオ山形 | 【2006-12-07(Thu) 19:09:50】 | Trackback:(1) | Comments:(2)
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