芋煮のシーズンです。
ですが、今期は個人的に芋煮をしていません。
そこで仙台戦@(旧)仙スタでお会いした友人のKa244(仮名)さんとクロシビッチ(仮名)さんをお誘いしてウチで芋煮(途中から唯♪さんも参加してくれました)。
(旧)仙スタそばのイトーヨーカドーで買出し。
肉は牛。
味は醤油。
芋は皮のむいてあるパックのものを二つ。
あとはねぎに舞茸というシンプルな構成。
最北といえど置賜に位置するわが家では、芋煮にはさらに大根、ゴボウなどが入るのですが、コストと調理時間の関係で省略です。
さて芋をゆでるところからはじめて、30分くらいでつくりあげました。多少硬い芋はあるものの、なんとか芋煮の体をなしていたと思います。
反省点としては、以下の3点。
・あまり汁が多いと、せっかくの牛肉ダシが分散してしまうので注意
・ゴボウがあれば、もっと味に深みが出るかも(牛丼の法則)
・カレールウは入れすぎるとしょっぱいので気をつける
以上、来年の芋煮に生かします。
なにはともあれ、今年も芋煮を食べれて満足です。
<私信>
ブログ開設したら連絡ください>ka244さん
ですが、今期は個人的に芋煮をしていません。
そこで仙台戦@(旧)仙スタでお会いした友人のKa244(仮名)さんとクロシビッチ(仮名)さんをお誘いしてウチで芋煮(途中から唯♪さんも参加してくれました)。
(旧)仙スタそばのイトーヨーカドーで買出し。
肉は牛。
味は醤油。
芋は皮のむいてあるパックのものを二つ。
あとはねぎに舞茸というシンプルな構成。
最北といえど置賜に位置するわが家では、芋煮にはさらに大根、ゴボウなどが入るのですが、コストと調理時間の関係で省略です。
さて芋をゆでるところからはじめて、30分くらいでつくりあげました。多少硬い芋はあるものの、なんとか芋煮の体をなしていたと思います。
反省点としては、以下の3点。
・あまり汁が多いと、せっかくの牛肉ダシが分散してしまうので注意
・ゴボウがあれば、もっと味に深みが出るかも(牛丼の法則)
・カレールウは入れすぎるとしょっぱいので気をつける
以上、来年の芋煮に生かします。
なにはともあれ、今年も芋煮を食べれて満足です。
<私信>
ブログ開設したら連絡ください>ka244さん
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個人的には今年のベスト・ゲーム。
怪我人続出&警告累積で両サイドバックとボランチがごっそりと入れ替わりましたが、それにもかかわらず皆レベルの高い働きが出来ていました。
中でも出色なのが、ボランチとしては今期はじめてのMF臼井の動き。
ピッチの中央を縦横無尽に走りまわり、相手ボールホルダーに厳しくプレッシャーをかけ、時には右サイドを駆け上がりながら、セカンドボールを次々と拾います。
相方のMF秋葉との連携も上々で、中盤はほとんど支配していたように見えました。
新しい中盤構成の可能性と現状打破の糸口が見えたかと思います。
「うちのチームはこういういいゲームができるし、力もありますし、ただそれを続けられる力がないのでこういう順位にいる」とは8月の仙台戦でのMF財前の言葉です。ですが、昨日の試合後のコメントといわれてもわかりません。勝てないのは、この言葉どおりにいい形が継続できていないからのようです。継続するにはどうすればいいのか。前回はわかりませんでしたが、今回は手がかりが見えた気がします。
安定を求めるには、固定した方法・戦術・布陣を取ればいい。だけどそれは安定する一方で惰性が生じたり、安定に覆い隠されたほころびが陰でひそかに大きくなっていく可能性は大きいといえます。それを打破するには、様々な方法を試みることが必要になります。ポジションの入れ替え、若手の抜擢などなど。これは安定とは正反対の行為なのかもしれませんが、そのことによってチーム内部で競争がおこり、個々の選手の成長することができれば、チームとしての成長と成績の安定をもたらすことになります。
昨年のDF陣の安定は、同レベルのCB3人による競争がもたらしたと考えることができます。シーズン当初は一昨季からの小林-レオナルド、途中で小原がレオに代わり小林-小原、最終的にはレオナルドが奮起し小原-レオナルドのコンビとなりました。小原とレオナルドはそれぞれ一度競争に敗れ、その上で這い上がって最終的なレギュラーを奪取したといえます。入れ替わりの間にDF陣が混乱していたかというとそんなことはありませんでした。
表面的な安定が内部の激しい不安性によってもたらされるのが理想といえます。昨日の臼井のボランチは、そんなことを感じさせてくれました。糸口は見えました。あとはどう実現するか。これが一番難しいのかもしれません。
怪我人続出&警告累積で両サイドバックとボランチがごっそりと入れ替わりましたが、それにもかかわらず皆レベルの高い働きが出来ていました。
中でも出色なのが、ボランチとしては今期はじめてのMF臼井の動き。
ピッチの中央を縦横無尽に走りまわり、相手ボールホルダーに厳しくプレッシャーをかけ、時には右サイドを駆け上がりながら、セカンドボールを次々と拾います。
相方のMF秋葉との連携も上々で、中盤はほとんど支配していたように見えました。
新しい中盤構成の可能性と現状打破の糸口が見えたかと思います。
「うちのチームはこういういいゲームができるし、力もありますし、ただそれを続けられる力がないのでこういう順位にいる」とは8月の仙台戦でのMF財前の言葉です。ですが、昨日の試合後のコメントといわれてもわかりません。勝てないのは、この言葉どおりにいい形が継続できていないからのようです。継続するにはどうすればいいのか。前回はわかりませんでしたが、今回は手がかりが見えた気がします。
安定を求めるには、固定した方法・戦術・布陣を取ればいい。だけどそれは安定する一方で惰性が生じたり、安定に覆い隠されたほころびが陰でひそかに大きくなっていく可能性は大きいといえます。それを打破するには、様々な方法を試みることが必要になります。ポジションの入れ替え、若手の抜擢などなど。これは安定とは正反対の行為なのかもしれませんが、そのことによってチーム内部で競争がおこり、個々の選手の成長することができれば、チームとしての成長と成績の安定をもたらすことになります。
昨年のDF陣の安定は、同レベルのCB3人による競争がもたらしたと考えることができます。シーズン当初は一昨季からの小林-レオナルド、途中で小原がレオに代わり小林-小原、最終的にはレオナルドが奮起し小原-レオナルドのコンビとなりました。小原とレオナルドはそれぞれ一度競争に敗れ、その上で這い上がって最終的なレギュラーを奪取したといえます。入れ替わりの間にDF陣が混乱していたかというとそんなことはありませんでした。
表面的な安定が内部の激しい不安性によってもたらされるのが理想といえます。昨日の臼井のボランチは、そんなことを感じさせてくれました。糸口は見えました。あとはどう実現するか。これが一番難しいのかもしれません。
個人的にはベガルタ仙台は「ライバル」だと思っているので、試合前の仙台を小ばかにしたような仙台コールと、試合後の馴れ合うような仙台コールには参加しなかった。
仙台は嫌いだけど、ライバルとしては敬意を表さなくてはならない。
バカにしうる相手がライバルというのであれば、山形もまたその程度ということになる。
こちらをちょくちょく小バカにする一部仙台サポ(特にベスパで顕著)にあわせる必要はない。わざわざ低いレベルに合わせる必要はまったくない。
仙台は嫌いだけど、ライバルとしては敬意を表さなくてはならない。
バカにしうる相手がライバルというのであれば、山形もまたその程度ということになる。
こちらをちょくちょく小バカにする一部仙台サポ(特にベスパで顕著)にあわせる必要はない。わざわざ低いレベルに合わせる必要はまったくない。
六ヶ所村といえば核燃料再処理工場。
そんなことはわかっている。
でもわかっているのは言葉だけ。核燃料再処理工場がいったいどんな施設なのかは全くわかっていなかったことを痛感させられる。
本作は、監督が自ら六ヶ所村とその周辺にすむ人々に直接意見を聞き、彼らの日常を追うドキュメンタリー。
とはいっても反対派の村民は一人。反対運動をするために東京から地元に戻ったという。施設の風下で農業を営む。
その他大勢の村民は、受容派ともいうべきか。六ヶ所村には他には産業がない。核関連施設で働くしか仕事はない。そんな彼らに反対意見が言えるはずがない。もちろん言いたいことはある。でも途中まで出掛かったその言葉を飲み込まざるをえない。
推進派は映画にはほとんど出てこない。まったく協力を得られなかったのだという。
六ヶ所村問題はテレビ・メディアにはほとんどでない。電力会社がバックについているから、事を大きくできないのだという。
少なくとも、知っておかなくてはならないのは、以下の点。
①六ヶ所村再処理施設で一日で出す放射線量は、原発1基1年分に相当するということ。
→あまりにも多すぎる。
②再処理施設で使用された排水は、太平洋沖4㌔に垂れ流されるということ。
→当然、太平洋を南下する親潮にのって三陸の海産物にも影響がある。
③再処理施設は、すでにイギリスもフランスも撤退しているということ。
→これはいうまでもなく危険だということ。
北朝鮮の核も問題も深刻だが、日本国内の核問題も実は深刻のようだ。
そんなことはわかっている。
でもわかっているのは言葉だけ。核燃料再処理工場がいったいどんな施設なのかは全くわかっていなかったことを痛感させられる。
本作は、監督が自ら六ヶ所村とその周辺にすむ人々に直接意見を聞き、彼らの日常を追うドキュメンタリー。
とはいっても反対派の村民は一人。反対運動をするために東京から地元に戻ったという。施設の風下で農業を営む。
その他大勢の村民は、受容派ともいうべきか。六ヶ所村には他には産業がない。核関連施設で働くしか仕事はない。そんな彼らに反対意見が言えるはずがない。もちろん言いたいことはある。でも途中まで出掛かったその言葉を飲み込まざるをえない。
推進派は映画にはほとんど出てこない。まったく協力を得られなかったのだという。
六ヶ所村問題はテレビ・メディアにはほとんどでない。電力会社がバックについているから、事を大きくできないのだという。
少なくとも、知っておかなくてはならないのは、以下の点。
①六ヶ所村再処理施設で一日で出す放射線量は、原発1基1年分に相当するということ。
→あまりにも多すぎる。
②再処理施設で使用された排水は、太平洋沖4㌔に垂れ流されるということ。
→当然、太平洋を南下する親潮にのって三陸の海産物にも影響がある。
③再処理施設は、すでにイギリスもフランスも撤退しているということ。
→これはいうまでもなく危険だということ。
北朝鮮の核も問題も深刻だが、日本国内の核問題も実は深刻のようだ。
両親が不在のなか二人きりで一緒に暮らすことになった兄と妹。実は二人は血がつながっていない。兄は、自分ははじめて妹と会った日のことをはっきりと覚えているが、きっと妹は幼すぎて覚えていないだろうと思っている。
兄にはしっかりしたお姉さんタイプの彼女がいる。妹はやんちゃで活動的。だが妹が成長するにつれ、一緒に生活する期間が長くなるにつれ、兄はだんだん妹が気になりはじめる…。
早い話が あだち充『みゆき』にそっくり。というかそのもの。
感想:あだち充のもどかしさの表現は抜群
…あれ?
兄にはしっかりしたお姉さんタイプの彼女がいる。妹はやんちゃで活動的。だが妹が成長するにつれ、一緒に生活する期間が長くなるにつれ、兄はだんだん妹が気になりはじめる…。
早い話が あだち充『みゆき』にそっくり。というかそのもの。
感想:あだち充のもどかしさの表現は抜群
…あれ?
個人的に福島県いわき市といって連想するのはメヒカリ、白水阿弥陀堂、常磐ハワイアンセンター。メヒカリはうまい。白水阿弥陀堂は人目を忍んでひっそり立っているんだけど、決して作りはおろそかではないところが好き。常磐ハワイアンセンター(現スパリゾート・ハワイアンズ)のTVCFは幼いときによく見た記憶がある。
今ではあまり知られてはいないが、いわきは日本屈指の炭鉱の町だった。ただし1960年代のエネルギー革命によって、燃料の主体が石炭から石油へと移行する中、いわきも他の炭鉱と同様に人員縮小やがては閉山への道を歩んでいく。
常磐ハワイアンセンター設立は、まさにこのいわきの炭鉱斜陽の時期に、その炭鉱会社によって新しい雇用創出と町おこしを兼ねて計画された、いわきの未来を背負ったプロジェクト。それゆえダンサーには地元の「炭鉱娘」の採用にこだわり、彼女たちを短期間のうちに一人前のプロダンサーに仕立てあげなくてはならない。そんな彼女たちの成長の物語。最近流行のスタイルの作品といえばそうなのだろう。でもここで描かれるのは、主人公たちのさわやかな青春の一ページではなく、彼女たちが切り開くべき自分の人生・会社の存亡・町の未来。
個々のエピソードのリアリティは抜群に高い。それらはすべて、時代が昭和40年であること、古い町であること、炭鉱であることといった状況設定からすべて想像しうる事態、起こりうる事態。ここから自分で想像しうる事態と映画中におこる事態とにそれほどの違いはない。それゆえに彼女たちとその悪い事態・状況を共有しているような錯覚におちいる。当然、その後には彼女たちへの感情移入と彼女たちへの共感が待っている。
久々にいい作品を見た。
2006年度樽映画大賞にノミネート。
今ではあまり知られてはいないが、いわきは日本屈指の炭鉱の町だった。ただし1960年代のエネルギー革命によって、燃料の主体が石炭から石油へと移行する中、いわきも他の炭鉱と同様に人員縮小やがては閉山への道を歩んでいく。
常磐ハワイアンセンター設立は、まさにこのいわきの炭鉱斜陽の時期に、その炭鉱会社によって新しい雇用創出と町おこしを兼ねて計画された、いわきの未来を背負ったプロジェクト。それゆえダンサーには地元の「炭鉱娘」の採用にこだわり、彼女たちを短期間のうちに一人前のプロダンサーに仕立てあげなくてはならない。そんな彼女たちの成長の物語。最近流行のスタイルの作品といえばそうなのだろう。でもここで描かれるのは、主人公たちのさわやかな青春の一ページではなく、彼女たちが切り開くべき自分の人生・会社の存亡・町の未来。
個々のエピソードのリアリティは抜群に高い。それらはすべて、時代が昭和40年であること、古い町であること、炭鉱であることといった状況設定からすべて想像しうる事態、起こりうる事態。ここから自分で想像しうる事態と映画中におこる事態とにそれほどの違いはない。それゆえに彼女たちとその悪い事態・状況を共有しているような錯覚におちいる。当然、その後には彼女たちへの感情移入と彼女たちへの共感が待っている。
久々にいい作品を見た。
2006年度樽映画大賞にノミネート。